Monday, January 25, 2010

〔羞恥と良心〕第六章 良心と優先順位

 何らかの意志決定とか、行動の規範とするものとは、要するにその人間の人生に対する思想(前作「存在と意味」http://entityandmeaning.blogspot.com/で私が規定した考えである。要するにどういう風に人生を作品化するかということにおいて最もそれに相応しいと思えることを信条とする生き方に対する自らの指針)に随順して形成されている。それは若い世代よりは、大体45歳以上の年齢になっている人に多く感じられる生き方に対する決意である。だから日常会話とか、他人と何かを話題にする時にも、これこれこういう場合にはこれこれこういうことを言うのは適切ではないとか、これこれこういう場合にこれこれこういう対応を他者にとるのはよくないことだとか、憚られることであるとかいう判断を支えるものであると言ってよいだろう。
 しかし同時にそうではない例外的なこともあるのだという判断も成立することがある。そのような例外的なことも含めて全ての判断を支えるものこそ人生に対する思想の構成要素であるところの良心かも知れない。そして明らかに個人毎に異なった優先順位というものがある。その優先順位において全てに対して自己の欲望は慎まねばと考える向きもあるだろうし、逆に全てに対して自己の欲望を優先すべきであると考える向きもあるだろう。
 そして何が憚られ、何が尊ばれるかという判断も個人毎に異なっている。
 しかし私たちにとって最も眼にとめておかなくてはならない事実とは、端的にどのような判断や判定基準も、自分自身の経験したことをベースにしているということである。つまり私たちは他人が私によって何かあることを言われたら、自分ならこう思うだろうなということをベースにしてその他人の立場になって考えているのであって、それ以上にその他人になることは私たちにでは出来ないということである。そしてある他人から何らかのことをいきなり言われたら、きっと自分なら頭に来るだろうなという推測を下にして、我々は何かあることはいきなり他人には告げるべきではないとそう考えるわけである。
 それはある行動をとろうかと考えている時でも全く事情は同じである。つまりこれこれこういう時にはこういう行動をとるべきであろうかと考える時、我々は他人がそのことを知ったらどのように思うだろうかということをベースにして考えるのだ。
 つまり恐らく良心というものの本質とは、そのような自分なら他人がとるある行動に対して、あるいはある発言に対してこれこれこのように感じるだろうという推測において成立する他人の立場にたって考える何らかの心の作用ではないかということである。
 しかしそれはあくまで私なら私の経験を通してしか想像することが出来ないのであるから、私自身の経験の内容とか、深刻さとか、苦悩の度合いとか、感じ方から離れて抽象的に考えることなど出来ない相談である。だから良心という心の作用の基本は、自分ならこう感じるだろうということを他人に対して適用したものであるとはまず言えることである。
 しかしそのこう感じるだろうと他人の立場に取り敢えず立って考えるということの内でも、実は自分と同じような体験とかその内容を持って人というのは、この世には殆どいないのであり、仮に非常に似た人がいたとしても、その人と巡り合う可能性は極めて低いし、そういう人と自分がでは果たして巧くやっていけるのかということもまた別問題である。
 そこで自分と異なった体験、つまり履歴であれ、経歴であれそれを持つ他人に「私が彼のような立場になったらどう考えるだろうか」という仮定的な想像を巡らすということになろう。そしてその際にも自分ならこういうことを優先するだろうとか、自分ならこういうことをされることは厭だが、別のああいうことをされると嬉しいだろうなと考える。
 しかしこれは誰でも経験することではなく、ある特定の人に対して、その人に固有の経験、経歴、履歴の立場になることを想像するわけだから、より具体的な想像であるとは言えるだろう。そしてその想像をより可能にすることとは、端的にその人と親しければ親しいほど容易であるということもまた確かだろう。
 要するに我々は他人の立場になって考えてみるということにおいてさえ優先順位をつけているのである。そして良心そのものの内容さえ自分の経験を下に主観的にしか想像することなど出来はしないのである。だから当然自分の一個の世界全体から見れば狭い小さな頭で必死に考えたところで、所詮想像の域というものそのものに限界があるわけだから、私たちは他人はどういうことを考えているのだろうかということを必死に考えることをより可能なものにするために書物を読んだり、ある時には他人と会ったりしてその人の考え方を聴こうと思うわけである。そして「ああそうか、自分ならこういう時こう感じるが、この人はそういう時には、そう感じるのか」と納得することもあるし、益々疑問に感じるようになることもあるだろう。あるいは自分ではこういう時にこう感じるということはきっと自分に固有のことだと思っていたら、予想外にそのことについて尋ねた他人も、同じように感じることがあると知ると、妙に安心したりすることもあるというわけである。
 そして恐らく良心という奴は、何らかのそういう経験がいつの間には積み重なって、次第に自分自身の体験的事実をベースにした人生に対する思想が私たち自身に語りかけてくれるその都度の判断という風に考えるとより理解しやすいかも知れない。つまり自分のことを最初はベースにして考えているわけだが、ある時から何故か、例えば先ほど言ったような好きな人とか、親しい人に固有のことだけではなく、普段自分にとってあまり好きではない人とか、親しくはない人をも含めたもっと広い視野に立って考えたことがベースになってより一般的にはこういう時というのは人というのはこう感じる筈だという何らかの法則を見出しているものである。そしてその法則こそが理性とか呼ばれるような何らかの行動や考え、あるいは判断を育み、良心というものはそこから汲み出されてくるものであるとは言えないだろうか?
 そしてそのある時とは、自分中心の考えなどというものは取るに足らない、要するにこの世の中や世界には、自分以外の大勢の人がいて、彼らはそれぞれ必死に何か考え悩んでいるのだということを考え、自分対自分以外というものは、一対多であるということにまず気がつき、そのことに気がついた状態で、一切の自己固有の欲求を解消させ、他人の立場に立って、しかもその他人とは他人一般であり、自分にとって親しい固有の他人ではないもっと本当の他人の立場に立った考えがふと浮かんだ時のことなのではないだろうか?このことはどこか自分自身を最も後尾の側にして考えている状態であるから、優先順位としては見ず知らずの人というものが存在優先順位では最上である。
 しかしこのような考えは、やはり四六時中提出される考えではないだろう。人間はもっと些細なことでくよくよ悩む。しかしある時吹っ切れるようにそう感じられるとしたら余分の野心を捨てて、本質にだけ忠実になった時の心境ではないだろうか?つまり余分な欲求というものは、自分にはないものを強請っている心境であり、それをすっかり諦めること、つまり潔く自分が今現在持っている能力で勝負するしかないと腹を括る時の心境である。
 世の中の作家とか、詩人とか、評論家とか、学者たちは何らかの意味で常に自己と対話している。それはどういうことか?つまり先ほど言った他人の立場というものにどれだけ我々自身がなれるのか、どれくらい私情というものを排除して自分の行動や発言を有益なものとして履行し得るのかということに対する挑戦として、何かを書き、それを世に問うという職業の人たちにはあるからである。それは自己の能力に対する対話であり、自己の能力に対する対話のないところでは良心というものも育まれることなどないということも意味する。つまり良心とは、理性と呼ばれるような心の状態が、ある時、すっかり自分の余分な欲求を取り払った時ふと浮かぶ向こうからやってくるようなタイプの考えであり、脳科学などではセレンディピティーとは呼ぶようだが、インスピレーションとも近いものだろう。しかもそれはより一般化された価値像であるのだから、必然的に責任倫理にも近いものであるに違いない。
 つまり良心とは端的に自分の中にある想像力という力が、特定の、個人的なものから少しずつ離れて、自分以外の誰にでも該当するようなタイプの想像それ自体が、少なくとも自分がかなり具体的に想像し得るような形で出来るようになる状態によって生まれるものであるとするなら、必然的に個人的であること、私情的なことそれ自体が、次第に一般的なことに昇華していくことであり、具体的であることそのものが、抽象的な領域にまで踏み込み、小さな欲求や余分な欲求が価値として限りなくゼロに近づく状態と定義してもよいことになるのではないだろうか?
 つまりそれは欲求というものの内容に関する優先順位において、より真理に近いものが理想となるような状態、つまり意志的に、私情とか私欲においては意志的にならないことに赴くような心の状態であるということは言えそうである。それは理性という形で立ち現われるものの中でもより、他人の立場に自分がなってみているということである。これは責任にも言えることであるが、責任の場合には、より自分の立場の限られていることを全うする必要がある場合が多いので、必然的に相手とか、他人の立場になることがいい場合とそうではない場合とがあるのに対して、良心とは、その点他人の立場の方をより価値的に優先するようなタイプの意志であるということもまた言えそうである。

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