Wednesday, October 14, 2009

〔顔と表情の意味〕2、法の遵守 序

 法に対する畏敬の念というものはある意味では共同体内では年長者に対する尊敬心とそれを行動で表意する敬語が担うべき意義は大きい。しかしそれにもかかわらず法そのものはそのような善意によって構成されてはいない。法とは寧ろ成員全員が必ずしも法令順守することはないであろう、という目測によって構成されている。それは最早前提と言っても過言ではない。法に背く者を裁くという側面から寧ろそれらは構成されている。このことは近代刑法学の父と呼ばれるフォイエルバッハの考えの中にも当然のことながらあったであろうと思われる。つまり近代と古代とにかかわらず法令を順守し、功のあったものには褒章を与えるが、それは同時にそれに背いた者には制裁と刑罰を与えるということを意味した筈である。それは概ね法令を順守する人間で構成される共同体において必ずある一定の割合で犯罪者も出現する(その頻度はともかくとして)ことを予め考慮に入れ刑法を成立させるということ、そしてそのことは実は平常ではどのような善良な人間でも何らかの拍子に何らかの突発的な契機をもって犯罪者になり得る可能性があるのであり、もし仮に犯罪者が逮捕されてもその人間が功労があったり、社会的地位の確立している人間であっても、逆に普段から素行が悪く、顰蹙を買うような人間であっても、そういうようなこととは無縁に公平に差別なく適用されることを旨とするものであった筈である。その時法というものの存在理由とは、一般的に人間は善良であるが、例外的な行為として時として規範逸脱的な行為へと赴くということを前提している抑制機能としてのものであるということとなる。これは例外出現可能性として、つまり行為としての平常さに対して異質性の発現可能性が全成員においてその本性上備わっているという性悪説から起因している。だから民法というようなものはかなり刑法よりも後に法秩序が洗練されてきてから、あるいはもっと言えば刑法体系の確立以後に犯罪が減少してきてから誕生したものであろう。ともあれ法とは人間の本性が性悪的であることの認知と、それを全成員において認知させることをも目的として、公共の利害においてある時期、つまりかなり私有財産的な観念が定着してきてから共有財産として認識されてきたものと思われる。
 その意味ではサールが「指摘する必要のないことは指摘しない」(「言語行為」坂本百大・土屋俊訳、勁草書房刊256ページより)という発語内的な暗黙の約定性において我々は日頃から法の順守を知らず知らずに実践していることとなる。
 言語活動において我々が考える最も有効なる例外例とは「座が白ける」とか「場の空気が引いた」というような心理的な表現であろう。サールの謂いに習えば「指摘する必要以上のことを指摘する」ことこそ、最も慣習的な言語行為としてのコードに抵抗することに他ならないであろう。つまり我々は本章において今度は意外性における肯定的な評価に直結し得るような魅力と、それとは対極の「座が白ける」とか「場の空気が引く」ような意外性というものの差はどこから生じ、どういうところなのか、という観点から分析、考察してみようと思う。
 文法があるということはその文法に従わないで発語することが何の意思疎通も果たさないという結果を招くことを人類は言語使用の極初期から恒常化させていたということではなかろうか?ある言語行為がラングとしての役割を果たすということは、紛れもなく法として、その言語を使用する(使用するとは言語自体の法に従うということを意味するのであるが)者とそうではない者との間に確実な差、共同体成員であるかそうではないかという結果を齎したであろう。ある行為が同一共同体成員であるかないかで許されたり、罰せられたりするという差を生じさせる。ある土地に居住すること、ある土地で狩猟すること、といった全てが同一成員間では認可され、そうではないと地域から追放される。
 刑法が明文化される、ということの背景にはその刑法を施行させるためのバックグラウンドたる言語行為がその刑法施行素地として恒常化していなければならない。刑法は言語行為が同一言語というラングなしに形成され得るとは思えない。少なくとも同一共同体である特定の専門家集団(狩猟なら狩猟の)が数人から十人くらいの単位で共同体秩序を構成しているとしよう。すると彼らは同一地域に居住してはいなかったある固有の非成員がその地域での居住と狩猟を認可する為には、同一地域での狩猟行動協力体制に加担し、その分配秩序を順守するという約定性に基づいてのみ判断された、というようなことは容易に察せられよう。勿論それ以前にはそういう新しいメンバーとなるというような紳士的な約定以前の略奪とか収奪とかが横行していたことも容易に察せられる。しかしある時期から(それが恐らく言語体系の完成期であったとも考えられるが)法体系が整備され、略奪、収奪がそう容易には可能ではなくなっていたとは考えられよう。そして別の地域に移住することが可能となるためにはある移住したいその地域で通用する言語の文法体系を習得し、その言語活動に加担しなければならなかった。言語行為恒常性への同化である。そして然る後に共同体全体の収穫量に対する一定の分配享受資格を獲得する努力が産出されるようになる。同一共同体成員資格とはそこでの言語活動への加担と同化、そして刑法その他の不文律に対する順守の誓約が基本的な条件であったであろう。そういった日常的な努力を明示しだしてから然る後改めて成員としての誓約を強いられたであろう。そしてそういう一連の行為をしながら成員資格享受において滞りなく認可されることの背景には明らかに同一地域でのみ通用する言語体系(それは体系として明文化されていなくても、既に慣習上ある特定の言語行為が日常化されている限り無意識であっても体系であると言える。)に準拠する意思疎通姿勢が示されて然るべきであろう。寧ろそのプロセスそのものこそ成員資格での最も重要な判定基準であったと言ってもよいであろう。何故なら言語行為において約定性が把握されて初めて彼は同一地域の法を理解することが出来たであろうからである。
 刑法制定以前にもその同一地域の利害に反する非成員に対する共同体防衛本能によって排他行動とか同一成員による特殊ケースにおける非分配規則順守により施行される制裁というものは当然あったであろう。しかしもっと重要なこととはその制裁は一番の強者である独裁者がライオンのプライドと同様にその都度変わるような共同体体制においては恐らく丼感情で施行されていた傾向が強いであろうと思われる。しかしそのような可変的で流動的な共同体運営体制に対して同一地域内の全成員から不満と共に疑念が噴出してくる(そういった疑念はある種の批判となって定着してゆく。そしてその民衆の不満を解消すべく、法を制定しつつ言語体系における細かい秩序を考え出した者がいた、という風にも考えられる。その人間は優秀な狩猟技術者を選択しつつその人間をリーダーとして持ち上げ権威を形成させつつ自分は中間管理職的な地位に安定を求めるようになる。初期官僚の登場であろうと思われる)。
 狩猟技術だけではなく成員統制に長けた強者による革命的に下克上的に共同体をその都度一変させるような不安定さを静定するために要求された万人にとって応用可能な狩猟技術とその収穫物保全方法とその技術が開発されてゆく。そこから社会の安定が少しずつ具現化されてゆく。そういった無法状態からの脱却と、日常的な成員の非安定的状態に対する不満の沈静化克服過程において法的整備による安定的な秩序を形成すべきであるという共同体全体の暗黙の考えが定着してゆく。それと共に賢者兼狩猟専門の優秀なる技術者とやはり賢者兼官僚的地位の人間が成員の中から選出されて全成員による自然発生的な社会のヒエラルキーが確立されていったことだろう。恐らく法的秩序と言語体系の秩序の形成は同時的である。それらは全成員の長年の安定的な生活基盤の獲得への願いが生んだ同意事項であり、リーダーとはその都度全成員による暗黙の了解の下で選出されていったであろう。しかし刑法その他の法の明文化は恐らく言語体系完成の後であったであろう(それ以前は言語体系の形成過程であっただろう)。言語定着と法整備の完成後やがて、その共同体運営に必須の狩猟技術者たちはその子孫にその技術を伝承して自然に血縁共同体的なギルドが構成されてゆく。そのギルドを中心に政治的経済的未分化の分配秩序が形成され、やがてそこから共同体の政治的運営、祈祷、女子護衛とかの役割分担が発生してゆく。その過程では当然文法的秩序が形成され言語行為の発語法は形成されていたであろう。官僚は官僚でその人心統握術という観点からギルド化されていったことも容易に想像される。(宮本常一は、年配者が権力を持つ年功序列集落は、非血縁的な集落<進化的形態>だと言う。)

 ここで最も重要なことは意思疎通における統語秩序や文法規則とは法秩序の形成(それは取りも直さず倫理体系の形成と期を一にしていると思われるが)と同時的に進行したということであり、例えば「よいこと」、「悪いこと」というような概念形成もこの共同体形成プロセスにおいて定着していったであろうということである。
 だから当然このプロセスにおいては意思疎通においての発語行為においてはおしなべてまだ余り「意外性」というような発語はそれほどまでには発展してはいなかったであろう。勿論個的レヴェルでは親しい者同士が冗談を言い合ったりするということはあったであろう。しかしそれが文化にまで発展するにはまず法秩序と言語体系の完成(勿論今日でもまだ完成してないないという面もあるのだが、取り敢えずラング的役割を果たすことが可能なまでには至るということである。)を持たねばならなかったであろう。勿論そのプロセスの途上でも当然<同調>、<揶揄>、<密告>、<裏切り>、<ほくそ笑み>等の行為や意思表明性はあったであろうが、だからと言ってそれが表立って文化コードにまで発展してゆくにはまだ多少時間を要したのではないか?ただその発語行為のやりとりの中では意外性の発言を有効に意思疎通上の知恵として案出する人間が登場すると、その人間は祭儀や祈祷、政治的な行為と不可分な詩の朗読とか他地域の異言語共同体とのやりとり(通訳と外交)といった特殊任務に配属されるようになり、やがて言語体系に複雑な人間心理の綾を導入し、言語体系に一定の貢献をしていったであろうことは容易に想像がつく。
 ところで言語社会学的な物の見方において一番重要なこととは何かということを考えると、それは言語活動というものがある一定の進化上の必然的展開として共同体に根付き、あるいは共同体形成という行為そのものが既に種全体の同意事項であるなら、そういった種間の連動を育む起源的な知性とは言語発生以前から当然あり、かつそれを円滑に捗らせるという目的一点において育む進化上、遺伝学上のある種生存を賭けた選択圧に対する返答として我々がたまたま偶然的に発展させてきたのが言語活動であるとすると、言語は前言語状態、つまり共同体護送船団的な運営を決定付ける前言語的な意思疎通の必要最低限のサインがあって、それをもっと円滑かつ複雑に共同体維持そのものに貢献するようなものとして位置付けられる技術開発の必要性(その結果が今の言語活動である)が前提されていた、と捉える必要性があるのである。
 そのような展開上において我々は前言語的サインを表情であると考えるのだが、同時に表情を察知することがただ単に友愛的なだけではなく、あくまで今日の営業的な戦略としても人類初期から発展していたのではないか、という臆測も成り立つ。ただその営業的な戦略も次章で述べることとなるが、表情の偽装性の有用性は同一ラング内では効力を発揮し得ないであろう。(次章、<述定の心的様相>を参照されたし)そこで当然考えられるのは世界で二番目に古い職業であるところの通訳である。彼らは同時に外交官であった。彼らは自ら所属する言語共同体の利害の為に偽装表情を異言語共同体の成員に示してきた筈である。その際に異言語集団間での偽装秩序というものが徐々に形成されていったとは考えられないであろうか?「ここまでの偽装は許されるが、ここから先の偽装はルール違反とする」というような。あまりにも唐突な意外性ばかりが恒常化すると表情を解釈することにおける表情の存在意義は滅却されてくる。そこで最低限のルールを施行しようという同意がやがて異言語間の協定事項と化してくる。そういった暗黙のルールの形成は同一言語共同体内においても異種言語間の広範囲な各種共同体間でも基本的にその必要性とか性質とかは厳密性においては構造的には殆ど等しかったであろう。近しい共同体内部でのそれと異種言語間では程度の差があるだけで、その構造上のあるいは暗黙の協定に対する意識レヴェルでの同意性において現実はそう変わらなかったことであろう。
 そこで重要なこととは初期人類の時代から意思疎通における意外性とはあくまで一定のルールを順守した上での許される範囲内での逸脱行為であったろう。そういった許される範囲内での逸脱行為であるなら、ある種のアイロニーとか皮肉とかジョークとかヒューモアとかといった言語行為上の日常的な人間関係維持の為の機微として作用していったことは充分に考えられる。(これが文学の誕生とも言えるのではないか?)
 通常進化というと縦の構造ばかりが重要視されがちであるが進化論生物学においてはある限定された期間において同一種内での通時的で遺伝的な祖先から子孫への進化以外の横の進化がしばしば考えられてきている。それは異種間にも徐々に浸透してゆくような同一機能の器官とかの進化である(収斂進化)。それはある一定の自然条件がその期間に、それまでの自然条件の常識では考えられないような異変が恒常化し、元の状態に中々戻らないような場合、その異変状態の定着という現象に対応すべく異種間でも有効な対処法としての対自然選択的進化が発展してゆき、まるでウィルス増殖の如く有効な処方を生存戦略的に進化上で採用可能な種が続々と出現してゆく。その際その横の進化を促進させるものとは実際にウィルスその他の要因が考えられよう。実はそのようなものとして言語活動というものそのものが結果的に異種言語共同体になっていった異種族間での表情偽装に関する暗黙協定策定(それはある言語が体系化されてゆく過程で既に生じていたのであろう。)過程と同時的に進行していたのであろう。ある地域に長期間居住する共同体とそうではなく常に移動を迫られる共同体同士ではその両者の生活上の時間では当然多少の邂逅機会とその為の一定期間の交流は考えられる。その際にその異共同体間の連動は相互の言語体系構築過程では異言語の語彙移入、文法秩序の形成におけるヒントとして異共同体の意思疎通技術の導入というような現象も手伝って個別的でありながらも共同的に体系上の完成へと一歩一歩近づいていったのではなかろうか?異種言語が自言語を体系化する促進剤として作用するということだ。
 移動民族と定住民族間の協調もあったろうし、隣接定住民族間の協調もあったであろう。移動民族の方がより定住民族間を行き来する可能性が大きいので通訳や外交を兼ねるようなタイプの成員を特殊任務として移動民族内で認可し、今日クレオールとかピジンとか言われる現象の萌芽が出現していたであろう。(そこから民族の分化が起こった可能性もある。)
 しかし最も重要なこととは言語活動というものがある文法的な体系を有するに至るにはただ単に発話行為が定着するだけではなく、社会的な法というものが不文律なりにも存在し、そこで文字表記が行われ、それが齎す思考の整理が人類にある種の行動的な規範を齎すようなシステムが既にあったということでなければ矛盾する。発話行為は文法体系以前に既にあったであろうが、その発話行為を文法体系的に秩序づけたのは文字表記であったとも考えられる。文字表記することが人間に思考の整理を強いるということを我々自身は日常的に経験している。
 純粋思念上ではいい考えが浮かばない時でも、いったん鉛筆やペン、ボールペンなどを手にしてそれを握って紙を前にした時、あるいはパソコンの前に座り、オンにしてキーボードに手を触れた時に、作曲家がスコア用紙を前に、演奏家が楽器を手にした時に突然ある考えが降臨してくるということはあり得るもである。これは物を書く、記述するということが考え方を整理する行為に等しいので、そのような心構えがそういう時に出来上がるということであろう。脳にある構えが出来上がるということである。
 しかしここで一つ疑問が起こる。そのように考えが纏まる、形をなすということはあくまで思考する為に必要な文法体系が既に我々によって認知されているからではないのか、ということである。それがあるからこそ鉛筆を握り、パソコンを前にすると考えが浮かぶのだ、というわけである。しかしこうも言える。ある考えというものはある行為、この場合であれば、鉛筆で何かを書こうとすること、パソコンのワードに何かを入力保存することによって閃くのだ、だから考えが纏まり、ある形をなすのはそういう行為への心構えから引起されるので、たとえ初期人類において何らの文法体系がまだ確立されていない状態ででも、その時人類は何かを書きとめようとする時に何らかの文法的な萌芽ともなり得るような秩序だった考えの形を現出せしめたのだ、と。
 考えがあり、それを形にする為に文法は形を整えたのだ、という側面と、その整えられた形を通して考えを纏めるという側面は相補的に作用しあって、文法と意味内容は相補的に進化していった、とは考えられるところである。
 物を書き、読むことの出来た一群の人々というものがいた、とは考えられる。彼らはインテリ階級であった。勿論狩猟技術率先開発者もいたであろう。彼らの中には狩猟技術だけではなく、文字表記し得る成員もいたであろう。しかしこのような分業と兼業の渾然一体化した社会システムにおいては、文字表記(それは恐らく絵文字だったから祈祷、祭事専門家でもあったであろうが)が編み出す思考の整理のシステムは口頭でやがて全ての成員(文字表記出来ない者も含めて)を統率する専門家の知識が全成員に伝わり共同体全体の不文律になってゆく。
 少なくとも人類の人類による歴史というものは文字表記によって形作られてきたのである。人類の身体的な進化のシステムやその生理的な機能性から読み取れる歴史というものを自然人類学者や動物進化学者や解剖学者たちが考える際の人類の歴史というものは生物学的な意味で形而下的なシステムとして我々の生命の歴史を物語っている。それは医学的、生理学的、進化学的な我々の存在そのものが語る歴史である。しかしそれともう一つは人類自身が(生命の歴史が神によるものであるとするなら)人類の手によって考えを後世に伝えたかったという思いもまたここで示されてもよいであろう。それは文字表記の事実自体が語る我々の歴史である。それは形而上的な意味でも、身体測定的な知性の曙としても、人類の心的な内実性においても極めて現代と太古を結び付ける絆である。
 古代から現代へと至るこの文字表記の歴史は人類によるものであるが、同時に彼をそう仕向けたのは身体の中に宿る生命記憶とその回帰欲求的な意志の顕現である。回帰することというのは生まれてから死ぬまでの間に起きる出来事の全てを体験しつつ、それを一括して人生であると考える人間の業のようなものから引き出された認識である。生まれて何かをこの地上に残し、再び生命が発祥した大本のエネルギーの場へと還元される(死)という事実が我々を文字表記へと駆り立ててきたのだ。
 野生の世界では捕食者たちは決してある一定以上の捕獲は自然システム上許されない。というより彼らは必死にそれに立ち向かっているのだが、彼らの脳がそれ以上の捕獲率を上げることを不可能にしているのだ。どのような動物であろうと捕獲率が10回に一回であろうと、5回に一回であろうと、これ以上追い求めても今回は捕獲不可能であるということが認識された段階において速やかに捕獲意図を撤回する、つまりこれ以上追い求めることを断念することを決定する何らかの根拠がその種毎に備わっているであろう。そうでなければ、彼らは一回一回の捕獲に費やされるエネルギーをある段階以上まで消費することが次回の捕獲行動を実践させるために摂って置かなければならない一定量以上を無駄に浪費することとなり、生存戦略上不利になるからだ。もしそれを出来ない個体が仮にあったとしたら、すぐさま生存を脅かされたであろう。彼は狙う立場であると同時に狙われる立場でもあるからである。衰弱した個体を狙う捕食者は至るところに待ち構えている。
 しかし彼らはそれを意識してやっているわけではないだろう。寧ろ殆ど無意識に身体が命令しているのだ。脳が命令していてもそのことが脳によるものだと彼らは思わない。実は事後的に解析してある行動が無意識のもので全く理性的な判断によるものではなかった、ということは人間でもあり得るのだ。これは認識上のことである、と考えても、実はその行動は無意識の欲求の表出であるかと思えば、無意識にしていたと考えることが、実はちゃんとした認識による行動である場合もあるのだ。そこの判断は結局のところ事後的にその行動の様相を些細に分析することでしかなされ得ないのだ。だが人間には意識や欲求だけではなく、未だ大きな武器がある。人間の場合、文字表記とか発話といった行為において解消される意思疎通の快楽がある。そこで我々は哲学史において、人間の人間に対する認識を歴史的に図ってきたのだ。意思疎通の快楽はあらゆる行動の中でも一際精彩を放っている。それはあらゆる行動の中で最も軽く、最も重い。そして最も多義的であり、最も他行為への依存性が弱い。行為目的論的にも独立性が強く、それ自体が目的であり、いかなる営業的な言辞さえ、人間が人間である限り純粋に手段であるということを、人間は考えたくはない。考えることは出来るが、そのようには割り切れない。
 ではなぜ我々はそのように人間による認識を営々と図る必要があったのであろうか?答えは簡単である。どの人間も同一の言語を持って意思疎通に臨んでも、異なった考えでその言語活動臨んできたからである。確かに我々は同一の言語共同体において、同一の文化コードを持ち、同一のラングをその都度有し、同一の法体系の下に居住してきた。しかしそれは一方で全ての成員が同一の見解を持ち、同一の世界観を持ち、同一のモラルを持っているということを意味するか、と言えば、それは全く当たらないのである。コミュニティーというものはそういったレヴェルでは誰一人同一のコードを持ち得ないという現実によって逆に必要性に迫られて形成されたものである、とさえ考えてもよいのである。
 概念的な意味合いにおいて、ある概念を使用する際の共通の認識というものは当然あり得る。それが言語共同体の成立前提である。しかしそれはその概念に対してどのような意図を持って意思疎通に臨んでいるのか、ということと、どの概念に対してどのような意味合いを付与し、使用しているか、ということにおいて全く各成員が共通した認識を持っているとは限らない、という現実を物語ってもいるのである。
 ある人間に約束したとしても、その人間が今日、明日のことくらいしか約束しない人間であり、そのことがその人間にとって常識であるのなら、その人間と一週間後の日程に約束をするという行為が、事後的にどれほど馬鹿げているかを知るだろう。しかしその約束をした時点ではそういう彼独自の常識を知らなかったのだから、致し方ない。
 我々は事前にその種のデータを知り得るケースと、そうではないケースの両方あることを知っている。しかし約束自体は可能である。それは言語がその人間固有の世界観とかその人間固有の人間観とか人間関係観とか、社会常識とは無縁に、それ自体で概念と意味を結び付ける、しかも共通のコードとして存在しているからである。
 人間にはそのような差異性を超えて触れ合う欲求がある。だから意思疎通をしようと欲し、共通のコードを探り合う。しかしそれさえしなかったなら、決して対立し得なかったろうけれど、意思疎通し合おうという欲求がために対立してゆくことにもなる。
 だから繰り返すことになるが、受容選択と拒否回避という保守性は次第に人間に対してこれ以上意思疎通し合う仲間を増やすまいと、決意させるに至るのである。そこから閉鎖的共同体が形成されてゆくこととなるのだ。だが歴史的に言っても、その種の閉鎖的共同体性格というものは腐敗を生んできた。腐敗の温床となった最も大きな理由とはそこに属する成員のメンバーが変化しなかったことである。新しい風が流入しないように全既成成員が心掛けてきたのだ。既得権益者集団の誕生である。
 そこに道徳という観念が派生する余地が生まれる。カントが「もし意志が自由であり、また神と来世とが存在するならば、我々は何をなすべきか、ということである。ところでこのことは、最高目的を目安とする我々の行状に関するものであるから、人間に理性を付与するに際して賢明な配慮を致した自然は、もともと自分の究極意図をもっぱら道徳的なものに向けたのである。」(「純粋理性批判」下、篠田英雄訳、岩波文庫94ページより)と言う時、そこには後にダーウィンが自然選択という考え方を採用してゆくこととなった基礎がある。それは人間が最初の内はただ他個体に対して閉鎖的に同族間でのみ利害を貪っていたことから(まさに閉鎖的共同体そのものである。)徐々にその閉鎖性に対する反省とそこからの離脱を要求するようになっていったのである。その工程そのものは実は神がデザインした脳の発達というものによって始めからある時期が来たら発現されるように仕組まれていたのである、とすると完璧な創造説となる。しかしカントは神を否定しなかったし、少なくとも神の存在を前提した上での認識と思惟を行ったが、ここでは自然という語彙に置き換わっている。まさにそれこそ、カントがダーウィンを先取りしていたことである。
 ダーウィンが活躍した時代にも未だキリスト教的創造説は盛んであり、それは今日においても変わりない。しかしダーウィンの後裔たちは確実にその芽を花に育ててきている。そしてそのダーウィンの仕事を色々な障害を齎しながらもやりやすいものにしたのがダーウィンの先人カントであり、後輩ヘーゲルだった。あるいはカントの前にはルソーがいた。
 ルソーやカントがそのように自然科学を離れ、悠々と哲学的な論議をすることが出来る余裕は近代的自我の確立が大きく関与している。近代的な自我意識が発進しなければ、恐らく哲学は形而上学的な限界にしがみ付き、自然科学へと命令するだけの指針に留まっていたであろう。それを一総務部的な学問から独立した学問へと導いたのは、彼ら以前を振り返ればデカルトやホッブスたちであろう。あるいはロックやヒュームたちであろう(実はこれを書いた時点からやや私の考えに変化が生じたのだが、そのまま掲載した。近代的自我と一口で言うことの中には実はもっと複雑なことが控えているように思うが、ここでは取り敢えずそれ以上に触れることを差し控えよう。このことは今後の宿題としたい)。
 言語にはディノテーションとコノテーションがある。ある言辞において、直裁に物事を語ることと、何かを語りながら、実はそのこと自体ではなく、別個のことを語ることを旨とする、という二つの意思疎通の在り方である。哲学者たちはこの二つを巧みに使い分けてきた。メタファー(暗喩)は明らかにコノテーションの一部である。またアレゴリー(隠喩)は明らかにこの二つの中間である。これらのことを少々まず基本的に頭に入れておいて欲しい。
 人間はそもそも意思疎通においては表情を明示することと言辞を織り交ぜて、意思疎通してきた。そのことに自覚的であったのはエソロジスト(動物行動学者)、一部の博物学者、あるいは自然人類学者たちのみであって、せいぜい心理学者、それに臨床心理学者くらいがそこに着目してきただけである。言語学者や記号学者たちはその範囲の考察をして来なかったと言って良い。哲学者もまたそれがかなり重要であることを知りながら敢えて避けてきたと言ってもよい。だが本来コミュニケーションを考えてゆくとなると、どうしても所作の中には表情の占める位置が大きくなる。言語学者たちは所作に関してはかなり考察してきた。しかしそれは言語を発する身体的な生理的メカニズムに依拠したそれであったのであり、心理的なそれであったのではない。心理的なことは心理学者に任せておけばそれでよい、ということであった。しかし心理言語学が登場して多少事情が異なってきた。それに言語社会学や社会言語学(どちらでも同じようなものである。同様に心理言語学も言語心理学と同じと考えてよい。)が加わって、考察の幅は広がってきた。個々の領域の専門性には配慮しながらも多分にクロスオーヴァーした研究態度が生じてきた。そこから普遍文法というような考え方も徐々に定着してきた、ということも言える。しかしまだ文法とか普遍的な統語法の考え方には表情は不随的なものでしかない。所謂言語学者たちが言う自然言語と人工言語という概念規定性そのものが極めて不自然である。勿論ここには自然言語は我々が日々使用する実際の言語であり、人工言語の方は我々がそれら自然言語を認識してゆくための思考実験的なモデル・ケースというものである、という範囲内でなら理解出来る。しかしそれが機械に言語を語らせ、機械に心を持たせるというような試みになると、いささか疑念の情を持たざるを得ない。これは一人ロボット工学者、心理学者や数理論学者たちの職業的なエゴではなかろうか?エンジニアという職業の持つ律儀さは理解出来る。しかしこれらの試みは機械というものそのものの発明されてからの時間と生命というものの歴史というものの長さの違いをあまりにも無視した無謀な試み以外の何物でもないのではないか?人間は本能的に機械と生命を峻別し得るのではないだろうか?
 人間はある言語行為において意味さえ伝達すればそれでこと足りるというわけではない。寧ろそのように語ることですっきりしたと感じたり、何であんなこと言ってしまったのだろう、と後悔したり、反省したり、あるいは何らかの言辞を齎されて傷ついたり、狼狽したり、喜んだり、楽しんだりしてきたのであり、そのことはこれからも変わりない。そういう側面がただ技術畑の職業的プロの研究材料でしかない、というようなことは断じてあり得ない。一部の哲学者たちはこの種の論議が極めて好きである。それはしかしある種の機械工学の発展には寄与するものであっても、人間そのものの実像には迫ることは出来はしないであろう。それは技工芸的な側面の研究である(この辺の考えにおいても私自身で弱冠の変化を来たしてきているのだが、それもまた今後の宿題としたい)。
 サールは「形而上学的な用語を使用するならば、価値が世界の中に存在する時、価値はもはや価値ではなく、世界の一部であるということになるゆえに、価値は世界の中にはないと述べることに等しい。」(「言語行為」327ページより)と述べる時、彼は恐らく「価値は世界の中に存在する」という言辞そのものの矛盾を示しいているのだ。このやり方は決して直示(ディノテーション)ではない。この言辞からは価値という言葉が正しいのか、あるいは価値という言葉を使用する仕方が正しいのか、価値が世界の中に存在することが正しいのかというような判断はつかない。それはこの文章の前後関係から推察するしかないのだが、それにしてもサールの言辞は思わせぶりである。これは手法的には明らかにコノテーションである。しかしここから少なくともサールが決して価値を否定しているのではないな、ということだけは解かる。だが彼が言う価値とは一体どんなものであろうか?
 まず文章から行くと、その価値はやはり世界の一部であるようなものではあり得ないということに尽きる。世界の一部であることは価値としての価値に矛盾を生じる、と彼はここで言っている。すると価値というものは世界とは切り離されたものでなければならない、ということになる。しかしここには論理矛盾がある。と言うのも彼が言う価値というものはそもそも彼が住む、彼がそこで考える世界という場によって齎されたものである限り、それは世界の一部であっても差し支えない、いやそうでなければならない、ということがまず考えられる。と同時に彼が価値と言う時、そこに何か大切なものというニュアンスも示されているわけだから、それは彼と共にあるべきものでなければならないのに、それでもそれは世界の一部ではないとなると、彼自身が世界とは切り離されてあらねばならない、ということとなる。<ブーバーは釈迦無尼の世界認識を批判している(「汝と我」)が、それは仏陀が世界を俗世間という意味で使用しているのに対し、ブーバーが世界全体(宇宙も含めた)を世界と呼んでいるということに起因している。サールが世界と価値が切り離されているとする時、その世界は俗世間ということを意味し、逆に世界の一部とする時、その世界は世界全体のことを意味する。>
 サール哲学はオースティンとストローソンの考えを批判しつつ融合した先駆的な存在と考えられているが、オースティンの律儀な厳密さに対して多少柔らか味を加えたということが出来ると思う。しかし彼の論理は多少曖昧にしてゆくところがあり、それがオースティンの持っていた厳格な輝きを多少損なっている(だから逆にオースティンの欠点は補っているが)観があり、どちらかと言うとストローソンをオースティン流に味付けした、といった観がある。そしてそこにクワインも加わる。サールが得意とするところはコリン・マッギンも得意とするコノテーションである。
 コノテーションにはある厳格な論理の窮屈なところ、明快過ぎると思われる論理の行き過ぎを是正する意味合いにおいては効果的である。しかし同時にそれがある批判力を失う(例えばもっと別の明快な論理が登場したりする)と途端に曖昧なものに写るという欠点もある。コノテーションは多義的なものを一義的なものとして理解しようとする論理の謁見に対して批判する力はある。しかしそれはその批判が効力を持っている間だけである。
 フランス現象学の雄であるメルロ・ポンティーにもそのような欠陥があると思われる。若い頃私はポンティーに痛烈に惹かれたが、私は今ではある種の行為目的論哲学者たちからは古いと思われているサルトルの方に寧ろ惹かれる。本論ではかなりの部分から、その大半は「存在と無」を参考にした。これからも彼との付き合いは続いてゆくであろう。サルトルにはかなりな部分からカントのオマージュと見做される部分を発見することが出来る。彼は恐らくカント以外にもヘーゲル、フッサール、ベルグソン、バタイユ、ブーバーそして恐らく、初期にはカミュ、メルロ・ポンティーらからも多大のエキスを注入している。彼にとって論理というものはベルグソン的なニュアンスも手伝って、要するに「散文的に流れるもの」である。それは学説中心主義的な哲学の放棄とっても良いでだろう。(サルトルのこの体質を理解せずしてサルトルを批判する(中才敏郎氏)のはお門違いである。まず批評というものはその論者の目指す志向性を理解して然る後に行動するのが筋であろう。)

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